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ビートルズコレクター、ビートルズおたく。 ビートルズによって人生を激変された人全員集合! ビートルマニアのページ!
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「京一郎とはるみは驚愕した!」びっくりした!なんやこれ?うそやろ、と目を疑った。ビートルズと関係あるかないかは別として、すごいインパクトだ!
これどう見てもリッケンバッカー325のシルエットをしてる。ジョンの持ってるやつだ。でもよく見てみると微妙。なーんだ。ソッリッドギターじゃん。どこかの質の悪いぱちもんかと思えるこのギターが、なんとグッレッチ製だと知って青天の霹靂だ!

グレッチといえば、ジョージハリスンの愛器のメーカーで、デビュー当時から「ロックジェット」「カントリージェントルマン」「テネシアン」と毎年買っている、ビートルズの顔と呼べる楽器メーカー。

そのグレッチが何をトチ狂ったかよりによってあのリッケンバッカーをコピーするか?どういう理由でこういう形にしたのか?決して偶然ではあるまい。「知らんかった」で済むような似かたではない。酷似。いやコピーだ。作ってる本人だって「あれ、この形で本当にいいのかな?」なんて疚しい気持ちがあったのか、それとも「これ見たらきっとみんなあきれるぞ」と言う野心があったのかそれとも「そんなもんしゃれや。しゃれ!。」と開き直るか。

リッケンバッカー社のほうは知ってるんだろうか?同じようにビートルズを支えたメーカーとしての誇りはどこに?あまりの驚きを見ず知らずの人たちにも知ってほしかった。

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歌うことよりもギターキッズを自負するジョージ。一生懸命ギターの練習だ。
デビュー当時のシングルでは影の薄いジョージ。ハーモニカがリードを取ってたりでほとんどいなくても同じ扱いだが、ファーストアルバム一曲目はシングルしかしらないひとには意外な曲だ。「そのときハートは盗まれた(はずかしい)」ではリードギターソロが十分に聞ける。「初めて買ったまともなギター」グレッチ「ロックジェット(デュオジェット)」がうれしくって仕方ない感じ。

さらに圧巻はセカンドアルバムの「ロールオーバーベートーベン(ベートーベンをぶっ飛ばせ)」。チャックベリーの代表曲をリードギターイントロ、ボーカル、リードギターソロ、ボーカルとジョージジョージで押してくる。しかもこのギターのドライブ感が最高!間違いなく彼のベストプレーだ。このときのギターはまたグレッチの「カントリージェントルマン」。ファーストアルバムの驚異的なセールスでいきなりお金が転がり込んできたのでついつい買ってしまった、憧れのチェットアトキンスモデル。いい音させてるね。新しいギターで大好きな曲をやってる楽しさが曲を盛り上げてる。

「ジョンレノンの曲は難解だ」「難しい」「アホにはわからん」とかよく聞く。対して、ポールマッカートニーの曲は聴きやすく、誰にでも愛される、と。
そうだろうか?

確かに「トゥマローネバーノウズ」とか「レボリューション9」「アイアムザウォラス」なんかを初めて聞くとそう思うかもしれない。

しかし特に初期の曲を聴くと、とんでもない。ジョンの曲はとってもポップで、万民の心を捉えtるようなものが多い。ビートルマニアを刺激したのはそういう曲だ。

代表的なものでは「プリーズプリーズミー」。イギリスで最初彼らののナンバーワンヒットだ。確かに一度聞くと「もう一度聞きたい」と思うようになる麻薬のような曲だ。
「シーラブズユー」「抱きしめたい」はポールとの協作とはいえジョンの色の濃い、ビートルズの代名詞のような曲。

アルバム「アハードデイズナイト」は(特にA面)ジョンのポップな曲のオンパレードだ。タイトル曲から、二曲めの「恋するふたり」続けて「恋に落ちたら」、歌ってるのはジョージだが「素敵なダンス」(この4曲全部邦題つきだ)と嵐(ジャニーズではありません)のようにつきすすむ、耳あたりのよさとドライブ感が初期の持ち味だ。

逆にポールのほうは、最初の三枚のアルバムまでは大きな仕事はしていない。デビューアルバムの一曲目とか「オールマイラビング」「キャントバイミーラブ」など要所を押さえているが、単発的な感じだ。だからこの頃まではまだジョンがバンドを牽引していかなくてはならない状態だったんだろーな。

ポールが充分力を発揮し始めて、ジョンの方向性も変わる。こういうポップ路線はポールに譲り、ジョン独自の、誰にもまねのできない方向を探り始める。それができるのも、今までの路線をポールが継承できるから。こういう役割分担がビートルズならでは。もちろんジョンの路線変更にはポールとのライバル意識もあったからだけど。

ジョージはポールと通学バスでよく合うことから顔見知りになり、ギターの話で意気投合。ポールがジョンに紹介することに。

ジョンは後に「音楽へ俺が貢献したとしたら、それはポールマッカートニーを発掘したことだ」と語っている。「ジョージはポールから、りんごはジョージを通じで加入した。俺が誘ったのはポールだけだ。」とも。ポール以外はあまり熱心ではなかった。ポールに合ったときほどの衝撃は無かったようだ。

最初は臨時雇い扱いだが、オリジナルメンバーが抜けたためレギュラーに昇格。それでもジョンの中では「ギター好きなガキンちょ」と言うイメージがなかなか抜けず「対等に思えるまで時間がかかった」そうな。ジョージが一番若いこともあるし、10大での3歳差は30代での3歳差と比べるともっと大きいはずだ。

そのため、ジョンはジョージの世話をしてるような気分で、持ち歌を分けてあげたり、新しい歌を作ってあげたりした。「ドゥーユーウォントゥノウアシークレット」もらったけど、ジョージはなんだかありがた迷惑って感じで「だってさ。お手本が無いんだよ。どう歌えばいいのかわかんないよ。」とても初期の頃。

メジャ-デビュー以前、ポールマッカートニーはベースではなく、リードギターだった。
彼がベースに回ったのは、スチュアートが脱退しベースがいなくなったから。器用貧乏と言うことで、「天才」でベースも弾けてしまう器用さがあった故の転身になる。ジョンやジョージはそういう融通が利かないだろう。だいたいジョンは自分が歌いたい人なので、ベースを弾くのはいやだったに違いない(ベースを弾きながら歌えるような器用さはない。ただし、ハーモニカとギターの同時演奏はできる)。

それ以前は自他共に認めるビートルズのギタリストだったわけだ。本人も、自分のうまさに自覚はあったし、ステージにあがるまではもっとうまくできるだろうと思っていた。

ところが!本人も思いがけないことが起こる。

初めて立った本格的なステージで、ポールは「あがって」しまう。頭が真っ白になってしまい、「ギターブギシャッフル」と言う曲のソロがハチャメチャに。一番ショックだったのは本人で、これ以降さすがのポールもリードパートをジョージに譲り、セカンドリズムギターとしてやや引っ込んでしまう。

その後にスチュアートの脱退。ベースへとなる。自信を取り戻すのに少し時間がかかったようだ。

ジョンに見放されないように、ポールは必死に挽回を試みる。「俺が書いた曲を聴いてくれよ」と作曲家としての自分をアピールしたのだ。それをきっかけに「実は俺もこんなのかいてたんだ」とジョンも自分の作品を披露し、ソングライティングチームが出発した。

今でこそ「超大物」「ロック界の大御所」してるポールも最初はそんな失敗があったんだ。しかも一生懸命挽回のためにジョンにアピールしてるってかわいいぜ。もし、その失敗が無ければ、ビートルズは只のコピーバンドで終わってたんだろうか?いや、そんなことはないだろう。違うストーリーにはなってただろうけど、必ず二人はチームとして曲を作り始めたはずだ。

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